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内なる怒りをどう表現していいのか解らない時がある。 最近読んだ絵本がそれだ。 知的障害・発達障害がどれだけ偏見と差別を抱かれているのかがよく解る。 兄妹へのモヤモヤや当事者の苦しみ… そんなものが育ててる我が子にあるのなら、それは親が兄妹への配慮を欠いて育ててると言われてるようなモノだ。 障害児の息子には「そうだね、出来ないね」をいつだって言ってきた。本人だって解っている。だから支援学校やら支援級があり、出来ない自覚すら育てている。 本人は痛い程解っている。 当事者の妹は「出来ないお兄ちゃんしか知らないから解んない」と言ったよ。ただただお兄ちゃんが好きだよ。苛めっ子に立ち向かう程、お兄ちゃんが好きなただの妹だよ。 勝手にモヤモヤしてると思い込む程、偏見や差別の目で見られている我が子達のような子供達… 誰も気付きもしないだろう。自身の内の偏見や差別に。私にだってあった偏見と差別だ。 精神疾患も発達障害も当たり前にあるモノだ。お涙頂戴でもなければ他人事でもない。リアルだ。 絵本は知的障害の子供のお話だが、アレは苛めっ子に読ます本だよ。 療育を意識出来ない子育てをする母親に読ませる本だよ。 描いたのが小児精神科医だというから期待したのがバカだった。本のレビューを書けと言われたら「育児の失敗を責められてるようだった」と書くだろう。 知的障害・自閉症・注意欠陥多動性障害を診断されたあの日、視界はブラックアウトした。 絶望の淵へ突き落とされた。走馬灯のように、自分が見てきた障害者達の奇行が次から次へと流れていた。 《私はあんな人を育てる母になるのか》 未来が見えなかったあの日。 夫の障害を知り、この絶望は予知出来たと知らされて怒りに狂いそうだったあの日。 脳性麻痺児や重度肢体不自由児・ダウン症児は産まれて直ぐに解るが、発達障害は違う。絶望の度合いが違うんだよ。作って壊されてまた作る。そんな子育てが療育だ。 我が子の成長を夢見て、育て難さと闘いながら、それでもいつかは「おかあさん」と呼ばれる日を待ち望んだ。 そんな日も来ないのだと打ちひしがれたあの日。 あの日の絶望を乗り越えたのに、まだ未来には二次障害で我が子を失うルートがある。 グレーゾーンならたとえ一時でも将来の夢だって見れただろうに。 知的障害児でなければたった3つしか無かった発語が消えたショックも味合わなかっただろうに。 自閉症児でなければ儀式的行動にも慣れる日は来なかっただろうに。 今の喋れる息子に育てるのにどれ程の労力を費やしたのかもう解らない。これからだってどれ程の苦悩が待ち受けるのか、耐えきれるのかは解りはしない。 アレが良書なら、私の日記はベストセラーにだってなる。 絶望の淵から療育をへて我が子等を導く先にもまだまだ多くの偏見と差別が待っている現実が悔しい。 それでも未来は明るいと思いたい。 世界が彩りを変える日はくるのだろうか… ※Iの発達障害発言はこのコメントへの嫌がらせです。
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