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(三冠すべて2着〜カツラシュウホウ) 皐月賞、ダービー、菊花賞の三冠レースで すべて2着に敗れ涙をのんだ馬がいる 昭和33年の4歳馬カツラシュウホウ カツラシュウホウは朝日杯3歳Sに勝った3歳チャンピオン 4歳になっても 弥生賞こそダイゴホマレに½馬身差敗れたが 平場オープンを二勝し 皐月賞では1番人気に推された ところがライバルのダイゴホマレを2馬身突き放したところで力尽き 伏兵のタイセイホープに首差かわされてしまった 思えば弥生賞で½馬身差敗れた時が2着病の始まりで その後 NHK杯もダイゴホマレに½馬身差2着 4歳になってからの重賞レースはことごとく2着で ここ一番での詰の弱さが目立ってきていた それでもダービーではまた1番人気 単勝配当10円差でダイゴホマレより支持された 名騎手蛯名武五郎は考えた 詰の甘さを克服するために 早仕掛けは避けようと 中団より前につけ ダイゴホマレが向正面で先頭に立っても 好位置で待つ 三コーナーから2番手集団にとりつき 四コーナーを回って単独2番手 あとは天神乗りの豪快なフォームで全身を使って追いまくる 怒涛のようにダイゴホマレに迫ったが 女神はハナ差だけダイゴホマレに微笑んだ そして秋の菊花賞でも½馬身コマヒカリに敗れ2着 とうとう三冠レースすべて2着の涙の記録が完成してしまった この2着病は5歳になっても続き 1番人気になった春の天皇賞でトサオーのクビ差2着 またまたあと一歩に泣いた 4歳以降に勝った重賞は阪神大賞典、鳴尾記念、中京記念があり 計13勝をあげたが 大一番ではつねに勝利と握手することはなかった 母ミネノマツはカツラシュウホウの前に3頭の子を産んだ 3頭はみな牝馬で 4頭目に生まれた初めての男の子がカツラシュウホウだった 優しいお姉さんに囲まれて育つうち 自然に身についてしまった優しさが 2着病のウイルスの正体だったのかもしれない
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