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[10]今日のhe
emoji[clock]03/29 14:23
he


03月29日 07時31分

「こころのお化け」は自覚しています。
自分の愚かさも十二分に自覚しています。
悟りにはまだまだほど遠く、多感だった少年時代のようにねじ曲げられた理不尽さに嫌気がさし、翻弄されてしまいました。まだ翻弄されていると思います。

だって、あなたの投稿にコメントしていったのは彼女ですよ。自分の意見にきっぱり反対意見をいって同調しないからといって、怒って爆発するのはおかど違いというものです。
違う意見もある、と思って自分がスルーすればいいことではないですか。

なのに私の投稿に、あなたが間違っているからなんとかしてくれ、っていきなりコメントをしてきたんですよ。しかも、あなたとのやり取りの自分のコメントは全部削除しておいて。
それで、あなたのコメントから如何にあなたが間違っているかを察して説得してくれというのですから。

何がおきていたのかわからなくて面食らいました。あまりの剣幕に困ってしまいました。

自分の立ち位置をはっきりさせて傷つけるのも嫌だなと考えたのがいけなかったのかもしれません。
困った私は、自分の投稿もコメントもスタンプも削除して消えることにしたのです。

ところがそれからねちねちねちねちと、自分の投稿やあちこちの投稿に、あなたの悪口のコメントを直接的・間接的にいつまでも書き続け、それに同調する人まで現れる始末でした。
私のコメントを削除していてもコメントの通知メールが来てしまうんですよ、このサロンのシステムでは。
腹が立って成仏なんてとてもできなくて、亡霊みたいにうろついていました。
そのうち我慢できなくなって少しコメントしたら、また悪口を書かれました。
ねちねちは他山の石とすべきところでしたが、私もついねちねちと反撃してしまいました。

それを、ある方々から痛烈に批判されました。
いい年して成仏できていませんね。

でもあなたは、少し前ぶりをして和らげながらも、率直に指摘してくれました。今度こそちゃんと成仏したいと思います。
もうあの方たちのコメントをのぞき見することはないでしょう。


ピアノを教えてくれた、10歳くらい年上だった近所の音大生のお姉さんに叱られた昔を思い出してしまいました。
優しくてきっぱりとした美しいお姉さんでした。

バイオリンを習っていて、パガニーニのバイオリン協奏曲の一部の楽章を編曲したのがリストのラ・カンパネラだと知り、曲を聞いてみてびっくりしました。他のピアノ曲も聞いてみたのですが、もう一つ、ショパンの幻想即興曲にも驚きました。
この2曲を弾けるようになりたいと思ったのです。
それで近所の音大生のお姉さんに頼んだというわけです。

でも当時は、バイエルから始まって、ハノン、ツェルニーと基礎を積み上げて練習しなくてはいけない、というのがセオリーの時代でした。

お姉さんは「邪道だけど」といいながら、たっての希望を受け入れてくれて、2曲の練習から始めてくれました。

うんと大人になってからですが、テレビでフジコ・ヘミングの特集番組を偶然見たことがありました。
「基礎から積み上げていくことが大切なんですよね」というアナウンサーの問いに、彼女は「人生は短いのよ。そんなことやってたらあっという間に年取ってしまうわ。好きな曲から練習すればいいのよ」と答えたのです。
こんなピアニストもいるんだ、私は邪道でもなかったのだ。
その言葉を聞いて嬉しくなりました。

大学生活は京都で送ったのですが、その頃の京都では全共闘運動と共に、ビートルズ、ボブディラン、ピーターポール&マリー、サイモンとガーファンクルなどの影響を受けて、自分で曲を作り、自分で演奏するという、学生による新しい音楽文化が花開いた時代でした。
先頭を走っていたのが、我々より3〜4歳年上のフォーク・クルセイダーズというグループでした。
龍谷大の加藤和彦、京都府立医大の北山修、同志社のはしだのりひこの3人です。

私は編曲と楽器ではそこそこ知られるようになっていて、たまたま友人のバイト先の仲間が女子大の学園祭めぐりをしたいから助けてくれないかと頼まれたことがありました。
そのバイイト仲間とやらに会ってセッションをやってみたら、彼の未開花の才能に驚かされることになったのです。

私の友人と、彼が連れてきたもう一人と4人でグループを組むことになり、グループ名をつけ、選曲をし、編曲をし、バンドピースを書き、練習開始となりました。

同志社女子大、京都女子大、ノートルダム女子大で演奏をしました。私は帽子をかぶってサングラスをかけてバックバンドです。恥ずかしくて人前に顔を晒す勇気などありませんでした。その彼は目立ちたがり屋でしたから、いい組み合わせでした。
そのときにオリジナル曲も入れさせてもらったんです。

その才能ある彼が、音楽事務所と契約してデビューしたいから一緒にやらないかと誘ってくれましたが、就職先が決まっていて、レコード会社すら諦めていた私は断るほかありませんでした。

私の曲を彼の作詞・作曲として使うことも了解しました。
今と違って著作権なんて時代ではありませんでしたから、当然口約束でした。売れるとも思っていませんでしたしね。

あれから48〜9年たっていますが、そのことにはそれから1度もふれたことはありません。ここで書くのが初めてだと思います。

印税なんかのことよりも、彼が音楽で世に出て食っていけたことを本当に嬉しく思っています。密かな自負もあって、人知れず微笑んでいます。

あの時代、まだCDなんか無くてアナログのレコード盤の時代でしたが、売れたころ私は中近東に研修駐在していたので何もしりません。
後で聞いたら、シングル盤3〜40万枚くらい売れたんだそうです。

曲は内緒にさせてください。
今聞くと恥ずかしくて耐えることができません。


※この噓も、いい加減にしてほしいです


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