妖怪・伝説



日本や世界各地に伝わる"妖怪"や"奇妙な言い伝え""伝説"等を投稿する場所です。

ここでは"情報"のみの投稿で"情報"についての議論は"雑談室"にてお願いします。

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emoji[clock]2009/11/12 19:56
UA:830SH
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残989件カキコミ可 1/2n

[11]マジカル糞ババアの騎士
emoji[clock]03/31 19:05
おさき

高野鼠
まあ色々で日本人と上手い事やってきた
妖物

男にゃ懐かずその家の婆ちゃんや母ちゃん娘っ子に憑く
娘っ子が嫁に行く時はおさきの子がついて行く

九代?重ねると守護になり家の子に妖物の血が混じる事がある

辻で膝下払うのは、おさきが辻で憑くから
すでについた家のおなご衆には害にしかならんので払い祓う

まだ憑き物筋は残っている 外道さん


UA:CA3C
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[10]きさらぎ凜emoji[mail]
emoji[clock]03/14 21:33
‡ローレライ‡
ドイツのライン川で美しい歌声を披露しながら竪琴を演奏する美女の妖怪です。ローレライは歌声でライン川を航行する(有名なライン下りの遊覧船も含め)船の乗組員を幻惑させて船を沈没させるように仕向けることを聞いています!


UA:SH33
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[9]きさらぎ凜emoji[mail]
emoji[clock]01/14 11:26
†吸血鬼ドラキュラ†
14か15世紀位のルーマニア(その頃はハプスブルグ一家のオーストリア&ハンガリー帝国に支配されていました)で、トランシルバニア城の領主ブラド・ツェッペ公爵がオスマントルコとの戦いで勝利を収めて自分の居城の前に酒池肉林をしながら敵の捕虜を串刺しで処刑したことからモデルになったことを言われていますΣ( ̄□ ̄;
今から数十年前か半世紀前のルーマニアで旅人が次々と体中の血液が無くなった状態で殺されたと聞いていますよ!


UA:SH33
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[8]きさらぎ凜emoji[mail]
emoji[clock]12/23 00:11
‡化け猫‡
亡くなった人の霊魂が猫に乗り移り、人間の姿で現れては生身の人間を襲うと言われています。またの名前を猫又と言いますが…詳しいことははっきりわかりません!?
1番有名のは佐賀藩の鍋島一門の化け猫騒動で昔鍋島直茂が仕えていた龍造寺周家公が怨んで呪いをかけたと言われる。ちなみに、化け猫を鍋島直茂公が撃退したと言われていますが、主君の龍造寺を下剋上同然で裏切り乗っ取る形で大名になったからでしょうか?


UA:SH33
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[7]九尾@キツネ
emoji[clock]11/25 22:49
『天狗[てんぐ]』

現代人のなかでは、天狗
のイメージはすっかり
定着している。

頭の上に兜巾(ときん)
をかぶり、八手の葉の
ウチワをもった
キュウリような高い鼻を
した妖怪…。


このイメージが定着
したのは、室町後期の
狩野元信
(かのうもとのぶ)が
描いた「鞍馬大僧正坊図」
からだとされている。


現代人が認識する
天狗像は、天狗の
最新モデルということに
なりまする(笑)。

しかしながら
平安時代においては
天狗は奇怪な
ミステリアスな精霊と
みなされていた。

平安時代には
陰陽師も天狗調伏の祈祷
を行ったとされてます。

「天狗」の
言葉が日本史に最初に
登場したのは

七世紀の舒明(じょめい)
天皇の時代である、

「日本書紀」の舒明天皇
の章には、
このように記されている。
「舒明九年二月二三日
大きな星が東から西に
流れ、雷鳴のように
空にとどろいた。
人々は、流星の音だと
いった。
すると、隋への留学から
帰ってきた僧が
流星の音ではない
これは天狗の吠える音で
あるといった。…」

この一節から
想像される天狗は
最新モデルとは程遠い
天空を駆けめぐる
巨大な霊体である
以後、天狗は
肉体のない得体のしれない
霊体という形などで
さまざまな説話・伝説に
登場するようになる。

平安時代に成立した……
「宇津保物語」
「源氏物語」
では、天狗を怪異な
山の精霊になぞらえて
いる。
宇津保物語は、山の音を
「天狗が弾く琴の音」に

源氏物語は、木の精霊で
ある木霊(こだま)を
天狗に見たてている。

柳田國男は、山中で聞こえる奇怪な笑い声・木が伐り倒される音が…
「天狗笑い」「天狗倒し」
の名で呼ばれることを伝えているが、それらもまだ、天狗を山の精霊になぞらえる流れです。

因みに魑魅魍魎の漢字は
天狗と共通性の意味が
あります。

魑[ち]山水・木石の化け物の意味。

魅[み]人の心を惹き付け
る化け物の意味。

魍[もう]山・川の瘴気から生じる化け物の意味。

魎[りょう]山・林の精、
化け物,モノノケの意味


魑魅…(すだま)いわゆる
木霊ですが化け物を意味します。

それでは、なぜ、
姿なき霊体であった
天狗が、現代人が
知るようなイメージに

変換されてしまったの
だろうか?

ズバリ結論をいうと
それは、霊体としての
天狗の神秘性が
上古から山岳修行に
いそしんできた山伏と
結びついた結果に
ほかならない。

高鼻の怪人として
描かれた天狗は

山伏と同様、に
人間業(にんげんわざ)
を超えた験力(げんりき)
をきわめようとする
山中の修行者である。

まず、その前提が
両者を強く結びつける。
また、カスミを食い
木から木へ飛び移る
天狗の霊力は

五穀(米・麦・豆・あわ・ひえ)を断ち、山道を
飛ぶように駆ける
山伏にオーバーラップする
さらに、兜巾に柿色の
スズカケ(麻の衣)
という天狗の風体は
山伏にピタリと一致する。
薄暗い森のなかで
山伏が笑い、木を伐る音
を聞いたらなら
怪しい精霊のシワザだと
思っても不思議ではない。

深山はそもそも、人を
まどわせる幽玄な気配に
満ちているのだから、

柳田國男は…
「九州の南部は日向でも
大隅(オオスミ)でも、
ヤンボシといえば化け物
のことである。
夜分山路を歩くと、
ときどか出逢うもので
坊主が首をくくった
処には必ずや出るという、
ぼうっとした大きな人影のような妖怪だそうで、
ただの山伏もヤンボシまたはヤンブシといって通ずる」

と著作の本のなかで書いてます。
平安時代においては
ミステリアスな山霊と
みなされていた。
天狗も妖怪つまり
魑魅魍魎の類いであった。


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[6]九尾@キツネ
emoji[clock]11/25 16:50
『怨霊(おんりょう)』

※すなわち、多くの
説話、伝承では、
怪異な姿をともなって
あらわれる怨霊や悪霊を

『霊鬼(れいき)』と
総称している。

もはや人の姿形を
してないモノ…である

つまり魑魅魍魎や妖怪
と同じなのである。

陰陽道は平安時代に
なって最盛期をむかえた。
それは、この時代に
怨霊が最盛期をむかえた
こととおおいに関係がある
右大臣藤原実資
(ふじわらのさねすけ)
が著者である「小右記」
には、怨霊に悩まされた
平安貴族が陰陽師の
憑祈祷(よりきとう)を
受けた記事がふんだんに
記されている。

そればかりか、あらゆる
史書は、平安時代に
なって、急激に怨霊が
バッコしはじめたことを
示しています。


それは現代社会でも
起こりうる可能性がある

いゃ、すでに起こっている

苛め、猟奇事件、誹謗
生活苦による自殺や恨み
ネット世界において
目に見えない安全圏から
人を咎め立てや濡れ衣
などの冤罪など数多ある

怨霊というものは
何らかの意味で強い
社会的変動を起こす
政治革命によって
生じるものである。…


古代における
「政治革命」とは

中大兄皇子
(なかのおおえのみこ)

蘇我入鹿(そがのいるか)
を朝儀におびき出して
斬殺[大化の改新]した
ような

マフィア的謀殺、あるい
は権力闘争をめぐる
内乱を意味します。


平安の初期から
「藤原摂関(せつかん)
時代」とよばれる

平安中期までは、
藤原氏の独裁によって
内乱がおさえられて
いたが……

水面下では、その独裁を
保つための謀略が
数多の怨念や心の闇や
惨死を生み出していた。


暗殺、処刑、あるいは
政治的抹殺による死など

それらにまつわる謀略の
証拠は残らなくても
怨みの怨念や
憎悪の闇や死んでいった
者の怨念だけは残る。


そして、その強烈な怨念
は、世間が知らなくとも
死んだ者と……
死ないたらしめた者だけ
は知っているのだから


平安期にあらわれた
霊鬼(れいき)怨霊の
数々は、暗々裏
(あんあんり)のうちに
なされた謀略の数を
示しているといっても
いいでしょう。

そして霊鬼(れいき)
怨霊のお祓いである
魔界(冥界)における
戦い(祓い)でもっとも
重要なポイントは

隠れた敵の姿を
見出すこと、敵から姿を
隠しおおせることの
二点にしぼられると
いっていい。

安倍晴明の幼少時の
伝説が、そのことを
雄弁に物語ってる。


幼い晴明は、闇のなかに
隠れた鬼を見出し
義父の賀茂忠行は
隠行(おんぎょう)の
術をつかって鬼たちから
姿をくらましている。


※怨霊は、あらゆる
凶事をもたらす目に
見えない力として
あらわれるのであって

ほとんどの場合、
陰陽師が術によって
探り出さないかぎり

その正体をあらわす
ことはない。

たしかに、恐るべき
悪霊にはちがいないが

姿形がないだけに
シロウト目には
たんなる病気や災害と
見分けがつかない。


※すなわち、多くの
説話、伝承では、
怪異な姿をともなって
あらわれる怨霊や悪霊を

『霊鬼(れいき)』と
総称している。

もはや人の姿形を
してないモノ…である

つまり魑魅魍魎や妖怪
と同じなのである。


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[5]九尾@キツネemoji[house]
emoji[clock]11/24 20:56
『天魔』


天魔とは第六天魔王
(マーラ・パーピーヤス)の事です
あるいは天魔の配下の神霊(魔縁)ことであり、仏道修行を妨げている魔の事です
第六天とは仏教における
天のうち欲界六欲天の最高位にある天のことです。

この天に生まれたものは
他人の楽しみを自由に自らのものにすることができるといいます。

ここで言う天界は仏教の
天・を意味していて
マーラは第六天に住む天界の最高神であり、
他外自在天や第六天魔王
ともいう。

他外自在天は弓を持った
姿で描かれ、この世の
すべてを自在に操り他人
を楽しませ自分も楽しむ
※[神]ですが

見方を変えれば誘惑者でもあり、また、楽しい気持ちにさせてくれる存在でも
ある

マーラの語義は
‘殺すもの’であるとも
死の人称形とも、

パーピーヤスは
‘より以上悪いもの’の
意ですが

しかし仏伝には
天(deva・神)であるとの
記述があり

「天」魔と呼ばれるのは
ここに由来するかもしれません。


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[4]九尾@キツネ
emoji[clock]11/24 20:47
『夜叉』は
古代インド神話や仏教の
経典や説話に登場する
悪鬼です。
別名、薬叉、一般にインド神話における悪鬼の総称であると言われますが、悪鬼の総称としては他にアスラという言葉も使われています。

(アスラ)とはインド神話、バラモン教、ヒンドゥー教における神族または魔族の総称ですが、

本来リグ・ヴェーダ(古代インドの聖典)に見られるように、古代インドにおいてはアスラは悪役的な要素ではなく、
デーヴァ神族の王インドラ(帝釈天)に敵対することもある天空神、司法神ヴアルナの眷属を指してましたが
その暗黒的、呪術的な側面が次第に強調されるようになり、時代が下がったインドではアスラを悪として扱うようになるが、古代インドの魔神アスラが仏教にとりいれられ、梵語(asura)の音写の阿修羅になる

本来サンスクリットでは(asu)が命(ra)が与えるという意味だったが(a)がサンスクリットで否定の接頭語となります。
また(aura)が天を意味します。
アスラは今でこそ悪魔や魔神であるという位置づけだけど、より古いヴェーダ時代においては、インドラと対立する悪魔であるというよりは、最高神的な位置づけであることのほうが、多かったことに注意する必要があります。

夜叉は男と女があり男はヤクシャ、女はヤクシニーと呼ばれます。

仏教では善神になった神々もインド神話においては悪鬼であった者が多く、
例えば・・・金剛夜叉明王。大威徳夜叉明王。十二神将(十二夜叉大将)と夜叉の名前を冠する仏はインド神話では悪鬼だったことがわかります。

尚、荼吉尼天、この仏はサンスクリット語で(ダーキニー)というインドの恐ろしい魔女(ヤクシニーの一)のことで、人骨でつくった腰帯をつけ、髪を振り乱し、目は三眼で牙をむき、半狂乱の女性であったとされます


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[3]
emoji[clock]11/24 13:05
‡小豆洗い‡


この妖怪はゲゲゲの鬼太郎でも有名で、竹原春泉画作の『絵本百物語』に"小豆洗い"として登場しています。

また、別名では"小豆とぎ"と呼ばれていて、これも日本の妖怪のひとつで、主に川で小豆を洗う音をたてるといわれています。
この妖怪"小豆洗い"伝説は日本全国各地にあり、山梨県笛吹市境川、藤垈の滝付近、新潟県の糸魚川、秋田県、群馬県、京都府、東京都、愛媛県など、出没地域は全国の広範囲に渡って語り次がれているんです。

また、上でも紹介した別名"小豆とぎ"は、広島県世羅郡、山口県美祢市、宇部市。愛媛県鬼北町などでの呼び名です。

他にも岩手県雫石町では"小豆アゲ"
長野県長野市川中島では"小豆ごしゃごしゃ"
山梨県北巨魔郡では"小豆そぎ"
鳥取県因幡地方では"小豆こし"
岡山県新見市では"小豆さらさら"
香川県坂出市では"小豆ヤロ"
などと呼ばれています。

上で紹介した愛媛県鬼北町では"小豆とぎ"の他にも"砂洗い"とも呼ばれていて、川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら小豆を洗うのだそうです。その音に気をとられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され落とされてしまうと伝えられています。また、不思議な事に音が聞こえるだけで、姿を見た者はいないとされていて、実際は川の中の石の擦れたりぶつかる音だとも言われています。

また長野県松本市では、木を切り倒す音や赤ん坊の泣き声をたてたという話も伝説として語り継がれています。
さらに群馬県邑楽郡邑楽町や島根県では、人をさらうものとも言われていて、神隠しなど、行方不明者が出ると『"小豆洗い"が連れていった』等と言っていたとされます。

伝承として『白河風土記』巻四によれば、鶴生(つりう・福島県西白河郡西郷村大字)の奥地の高助という所の山中では、炭窯に宿泊する者はたまに妙な音を聞いたそうです。
妙な音とは、炭焼き小屋に夜中近づいてみると、小豆を磨ぐサクサクという音が聞こえ、外に出て見てもそこには誰も居ないと言う事があり、その音の招待を"小豆とぎ"と呼んだのだそうです。

また、茨城県や佐渡島でいう小豆洗いは、背が低く目の大きい法師姿で、笑いながら小豆を洗っているといいます。これは縁起の良い妖怪といわれていて、娘を持つ女性が小豆を持って谷川へ出かけてこれを目にすると娘は早く縁談が舞い込むと信じられていました。

また、事実かどうかは不明ですが、江戸時代の奇談集の『絵本百物語』にある「小豆あらい」によれば、越後国の高田(現・新潟県上越市)の法華宗の寺にいた日顕という小僧は、体に障害を持っていたものの物の数を数えるのが得意らしく、小豆の数を一合でも一升でも間違いなく言い当てたと言うのです。
寺の和尚は小僧を大層可愛がり、いずれ住職を継がせようと考えていましたが…それを妬んだ円海という悪僧がこの小僧を井戸に投げ込んで殺してしまいました。
それ以来、小僧の霊が夜な夜な雨戸に小豆を投げつけ、夕暮れ時には近くの川で小豆を洗って数を数えるようになったと言うんです。
その後罪が明るみに出てこの円海が死罪となり、その後は日顕の死んだ井戸で日顕と円海の霊が言い争う声が聞こえるようになったとも言います。
また、違う『桃山人夜話』では、
『山寺の小僧
谷川に行てあづきを洗ひ居たりしを
同宿の坊主意趣ありて
谷川へつき落としけるが
岩にうたれて死したり
それよりて彼小僧の霊魂
おりおり出て小豆をあらひ
泣つ笑ひつなす事になんありし』
とあり、大筋は『絵本百物語』の「小豆あらい」ほぼ同じですが、殺される場所は井戸ではなく谷川だと記しています。

東京都檜原村では"小豆あらいど"といって、ある女が小豆に小石が混ざっていたと姑に叱られたことから川に身を投げてしまったんです。それ以来その川から小豆をとぐ音が聞こえるようになったと言われています。

他にも愛媛県松山市に伝わる小豆洗いの話では、明治初期に川の洗い場に50歳ほどの女性が小豆と米を洗っていたため、そこには誰も洗濯に寄らず、その女はやがて死に去った…という話も残っています。

実際は作られた話かも知れませんが、火の無い所には煙りは立たずとも言いますし、僕の考えでは、実際にあった事と"小豆洗い"を繋げた事なのではと考えます。
逆にもしかしたら本当に存在しているのかもしれません。

竹原春泉著[絵本百物語]より。

画像サムネイル14kb
UA:830SH
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[2]九尾@キツネ
emoji[clock]11/13 01:32
【鬼】

オニという語の語源は
『倭名抄:ワミヨウショウ』の
(隠)〔おぬ:隠れて人の目に見えない物という意味〕
の転訛したものとする説
がありますが……

または
‘オ’は御で敬語であり
‘ニ’は尊敬・畏怖を表す
言葉の複合したものとする説があります。

日本人には太古より鬼の
観念があり

『日本書記にも鬼神=
あしきかみ、逆鬼=
あしきもの』と
書かれてます。

これは朝廷に服せず反乱
する地方人をさした言葉
ですがね

それが『出雲風土記』に
なると、民族的にもより
具体化された鬼として
表現され異形の姿として
虎のフンドシをつけた姿
になります。


この鬼姿は丑寅(東北)
の方を鬼門として鬼が
集まる所としている
陰陽道に起因して影響を
受けている像ですが

そのもともとは
黄塵(コウジン)を巻き起こす
春一番の進路を恐れる
表現であるという説あり

一方奈良時代、中国から
仏教とともに伝えられた
鬼の考え方が、餓鬼や
疫鬼の類を加えて

現在のイメージの鬼が想像
され形成されたと言えます

ところで鬼と鬼神は少し
違う、鬼神は人間と神との中間に位置する者

目に見えない精霊、また
は荒々しき恐ろしき神で
あるという考え方を
されているようであります

そもそもの考え方は
人間は天から授かった
鬼(魂)であるという観念
から

人が死ぬと魂は骸(ムクロ)
から抜け出て天に帰って
行き、現世で善徳を
積んだ人の魂は天に帰り
ますが

悪行をした者の魂は現世
と天の中間に浮遊していて鬼となり

ときによっては人に禍を
もたらすこともあると
されます。

だが後世になり鬼という
観念から鬼神も悪鬼に
転落させられてしまいますが

その元ははやはり
神の一つなのです。

二月三日の節分の夜に
鬼遣(おにやらい)の
豆撒きが行なわれる

〔福は内・鬼は外〕と
三回唱えて、炒り大豆を
撒きますが、

これは鬼が〔豆の打ちあたるときの音の霊力〕に
負けて逃げるという説と

〔追われた鬼も食糧が
なければ再び帰って
来てしまう〕という説が
あります。

ところが神社の中で
鬼鎮神社がありますが

此処では…
〔福は内、鬼は内
悪魔は外〕と唱えるし、

鬼の字をつける姓の人々
は〔福は内、鬼は内〕と
唱える家が多いと言います


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