九五式軽戦車(ハ号)



日本陸軍 九五式軽戦車(ハ号)です。
実車は日本の戦車で一番大量に生産され、満州から南方まであらゆる戦場で働きました。
海外にある日本軍戦車の残骸は大抵この九五式だったりします。
親記事の画像は実車です。

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うずら

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[13]うずら
>>10てつやさん、ありがとうございます。

後進国でしょうね。てか、理想を形にするだけの工業力もありませんでしたからね。
狭い車内にやっとの思いで設置した砲弾置場、外からは狙われやすい…って悲しい,


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[12]うずら
>>9ペイブホークさん、ありがとうございます。
履帯の弛みは、このは履帯がベルト式だったので、弛ませて強引に接着してあります。

戦車開発時のコンセプト自体が違うので仕方がないのでしょうが、改良も無くそれで最後まで戦わなければならないのは悲しいでしょうね。


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[11]うずら
>>8マルコスさん、ありがとうございます。
久しぶりの日本戦車でキットの出来もかなり良く楽しんで製作する事が出来ました。

ソ連の対戦車砲はタイガーでも手こずったと言いますから九五式だとかなりやばいでしょうね。


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[10]てつや
うずらさん、作品を拝見しました!

九五式軽戦車ですかぁ!素晴らしい出来栄えですねぇ!

車体全体の質感がとてもリアルです!砂ぼこりや泥の跳ね返りで汚れた車体が見事に表現されています!

キャタピラの感じもいいですねぇ!私もここまで作り込めればもっとリアルになったんですけど・・・。

フュギュアも服の色の濃淡から顔の髭剃り跡まで細部にわたって細かく作られてるのが分かります!

車体の出っ張った部分って弾薬を置くために出っ張ってたんですね。

狙って下さいと言わんばかりの場所で、これで被弾した戦車も多かったことでしょう。

やはり戦車においては日本は後進国だったのかもしれません。


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[9]ペイブホーク
作品拝見しました。

当時の日本戦車の特徴をよく捉えていると思います。特にサポートホイールの間のキャタピラーのたるみがなかなか良いですね。

この頃の日本戦車は不遇な戦歴が有名ですが、もともと歩兵の盾として使用するように設計され、小銃弾を防ぐ程度の装甲しか考慮されていなかったことを思えばM4シャーマンなどと勝負にならなかったのも頷けます。


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[8]マルコス
うずらさん

詳しい解説とともに楽しく拝見させて頂きました(^^)

いつもながらうずらさんの戦車は見事な出来映えで色々勉強になる所がいっぱいです(^^)。

実車は貧弱ですがうずらさんが製作するとより強く見えます
田中さんも誇らしげですね(^^)

史実ではBT5なら500メートルの距離でも撃破出来たらしいですが
日本軍は作戦上数輌で集中放火を浴びせる戦法が得意だったようです(^^)

ただ相当に浅い角度からハ号の戦車底部を射貫したソ連の45ミリ被帽付徹甲弾(APC弾)に戦車隊上層部はかなりショックを受けたらしいです(゜∇゜)


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[7]うずら
田中さんです。いや、山田さんかも。
日本向け限定で戦車長が付属していました。

フィリピンにて…
ジャングルの向こうからシャーマン戦車がこちらにやって来る。九五式軽戦車6輌が3輌ずつに分かれて隠れ、シャーマンが真ん中を通った時に左右から至近距離でメッタ撃ち!
その後シャーマンは何事も無かったかの様に砲塔を旋回させ、4輌が返り討ちに …

ちっとも活躍していない様に思われますが、これでも歩兵にとっては強い味方だったのでしょう。

迷彩は日本陸軍迷彩色セット(前期)を使用しました。3色迷彩なのに2色に見えるのは下地の茶色のせいです。
日本軍戦車特有の黄色の帯は、実際には車体の輪郭を曖昧に見せる効果を狙ったらしいです。

以上、1作目でした。ありがとうございました。

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[6]うずら
戦車長、機銃手、操縦手の3人乗りです。
砲塔は戦車長1人で操作しなければならず、砲塔後部にも機銃があり、とても忙しそうです。

主砲は砲塔の旋回だけでなく、主砲だけで左右10度ずつ動かせました。
九五式軽戦車は何年も先にファインモールドから出ていました。このキットはサイバーホビー製ですが、この機構を再現したのは恐らくこのキットが初だと思います。

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[5]うずら
主砲は、九四式三七ミリ戦車砲。
37ミリ砲は開発された当時はそれなりに世界基準だったんですが、これで終戦まで戦い抜くにはかなり無理があり、しかも材質のせいか装薬の量のせいかあまり性能がよろしい主砲ではなくて…

どの位活躍した戦車かというと
軽戦車主力の第四戦車連隊のノモンハンでの報告
「ソ連戦車に対しての攻撃で、距離800mで弾頭が滑ってしまったので400まで近付いて… 」
この時の相手は、BT5やBT7や装甲車でした。
ソ連戦車の傾斜装甲のせいじゃなくて、単に弾の貫通力の無さのせいのようです。
装甲は厚い所で2pしか無いので、近づくのも命がけです。


後に九八式砲弾として薬莢を少し大型化しましたが、焼け石に水でした。

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[3]うずら
初の実戦投入は1935年のノモンハン事件。
その後 大した改良も無く終戦まで使われました。

大型転輪を一組のボギーでまとめ、更に二組のボギーを一つのバネで支えるジーザス方式と呼ばれるサスペンションで、これはこの九五式軽戦車の様な前後長が短い戦車には不向きで、いつまでも上下動が収まらなかったと言います。

車体を横からみると転輪が4個ですが、満州北部に広がるコーリャン畑のウネを乗り越えられる様に、転輪の間にもう一つ転輪を付けた(一つのボギーに三つの転輪)改良型 「北満型」という型もあります。
まぁ、もっとも、あまり役に立たなかったといいます。

ちなみに、車体横の丸く張り出している部分は弾薬置場で、ここに被弾すると致命傷でした。
てか、かなり被弾しやすそうな場所ですが…

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[1]うずら
日中戦争以前、それまでの日本陸軍戦車は八九式やルノーNC軽戦車等でした。しかし旧態以前としたこの車両は速度も遅く輸送トラックとの連携が出来ませんでした。

時速40kmで走りトラックとの連携が出来る様に開発されたのが九五式軽戦車(ハ号)です。ハはイロハのハで、日本陸軍 軽戦車として、三番目に採用された車両です。

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