ターフをわかせた名馬



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[3]カブトシロー
emoji[clock]12/06 09:43
(稀代のクセ馬)

確かに強いが
いつ来るかわからない

こういう馬が毎年出てくる

そんな馬の中では
昭和39年から43年にかけて走ったカブトシローこそチャンピオンだ

通算して71戦14勝という数字はマアマアだが
勝ちっぷり負けっぷりが際立っている

初勝利がまず1100円の単穴

2勝目の直前のレースでは落馬、競争を中止をした

しかし
ダービーではキーストンの5着に食い込んでいるから実力の片鱗はみせている

人気が上がると惨敗を続ける

人気が落ちたところで勝って穴をあける

あの馬は新聞が読めるとは
半ば本気で語られた話だ

ムラ馬ぶりは重賞レースでこそ発揮され
オールカマーでは3着入線
複勝1140円という配当をヒット

同じ年の有馬記念で7番人気の2着
逆に安田記念では1番人気で6着という不思議な戦い方をしている

カブトシローのクセ馬たるゆえんはその後も磨きかかっていた

42年春の天皇賞を最後に馬主が変わったが

4回目の天皇賞への挑戦

ここでカブトシローは前の馬主へあてつけるように圧勝し
有馬記念では6馬身もの差をつけて勝った

7歳になると相変わらず成績のデコボコはあるが
着実に好走する馬に変身していた

カブトシローが走るなら何が起きてもしょうがないとまでファンを達観させた稀代のクセ馬の最後のレースは
43年の有馬記念で
5番人気の10着だった


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[2]ハクチカラ
emoji[clock]11/26 00:52
(海外で初めて勝つ)

昭和31年の第23回ダービーは保田隆芳騎乗
名門尾形藤吉厩舎のハクチカラが制した

ハクチカラの戦績は通算32戦20勝

この中にはダービーの他天皇賞、有馬記念など多くの重賞勝ちがあり
まずはダービーの名に恥じない名馬の一頭だった

しかし
ハクチカラの名を高めたのはこの戦績だけではない

初めて海外のレースで勝利した日本馬として
日本競馬史に名を残すことになった

33年の有馬記念優勝の翌春
ハクチカラは保田騎手とともにアメリカに遠征した

7月
ハリウッドパーク競馬場のハンデ戦で4着に入線したものの
その他はあまりパッとしない

敗因は気候風土
レース環境のあまりの違いにあると分折した陣営はハクチカラをアメリカの調教師に任せることにした

騎手もアメリカ人騎手にかわっている

すると
年末のサンタニア競馬場のレースでいきなり2着に入賞

その後も上位入着を続けた

そして34年2月23日
サンタニア競馬場の賞金5万ドルのワシントン?バースデー?ハンデに駒を進めた

この重賞レースに
ハンデ戦ながらハクチカラは優勝した

「日本馬勝つ」のニュースは世界に流れ
国外でもその馬名を高めた

その後もハクチカラはアメリカを転戦し
かなりの戦績をおさめている

その後に現れる海外単身赴任ビジネスマンの先駆けとなるような孤軍奮闘の活躍ぶりだった

昭和43年
ハクチカラはインドに奇贈され
種牡馬生活に入った

多くの優秀な産駒を残し
54年
インド国立クニガル牧場で没した


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[1]
emoji[clock]11/08 10:53
ダービーを勝つために天から降りてきた馬

トキノミノルは最初
パーフェクトと言う名でデビューした

いかにも
永田ラッパを吹きまくった
永田雅一オーナーらしい強気な命名だ

その名の通り10戦全勝のパーフェクトな成績をあげた同馬は
2戦目からトキノミノルと改名した

トキノミノルは文豪、菊池寛が他界した直後
五月二日に生まれた

菊池寛は長い馬主時代に
帝室御賞典(天皇賞の前身)
はトキノチカラで勝ったものの
ダービーを勝てなかったことに未練を残したまま世を去った

大映初代社長だった菊池の遺志を継ぎ
二代目社長の永田は
先代の没後入れ替わるように生まれた馬がダービーを狙える勝ちっぷりで鮮烈なデビューを飾った時
この馬に菊池の愛馬の名に共通のトキノをつけることを決めた

けれどもトキノミノルは健康面では必ずしも旧名のようにパーフェクトではなく
それどころか
常に不安を抱えて走っていた

慢性の膝の疾患と裂蹄の為
四肢が完調だった事はなく
ダービーの2日前には急性腱炎を起こし
トキノミノル出走断念説が流れたほど

出否も決まらないまま
岩下密政騎手と村田厩務員が2日間厩舎に泊まり込み
不眠不休で看護に努めた結果
トキノミノルは奇跡的な回復を見せた

そして見事に人々の期待に応えた

ダービーのスタートからゴールインまで永田は
南無妙法蓮華経を唱えどおしだったという

永田はトキノミノルを海外に遠征させようと決意したが
その夢も虚しく
ダービーの17日後
破傷風がもとでトキノミノルは短い生涯にピリオドを打つ


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