スポーツ全般(野球以外)





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フランクフルトに所属する元日本代表MF長谷部誠が17日、現地で記者会見を開き、今季限りでの現役引退を発表した。

会見に出席した長谷部は「今シーズン終了後に現役選手としてのキャリアを終えます」と今季限りでの引退を表明。そして、「ただ、まだすべて(シーズン)が終わったわけではないです。今日発表して、チームとともにラストスパートに集中することを希望します」と、残るシーズンに集中することを強調した。

「僕たちは6位を確保することを目指します。来季もテレビやファンたちとともにスタンドから欧州舞台を戦うアイントラハトが見れたら嬉しいです」

そして、今後については「マルクス・クレシェ(役員)とは話しているが、まだどのような役割となるか決まっていません。ただ、アイントラハトに残れることを喜んでいます」と、クラブに残留して何らかの役割を担う予定だと話した。

2002年に浦和レッズでプロデビューした長谷部は、J1リーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ制覇を経験。2008年1月からは5シーズン半にわたってヴォルフスブルクで主力としてプレーした。同クラブで2008-09シーズンにブンデスリーガ制覇を経験した後、2013-14シーズンのニュルンベルク移籍を経て、2014年夏にフランクフルトへ移籍した。

フランクフルトでは、ボランチだけでなくリベロとしても地位を確立し、在籍する10シーズンで公式戦303試合に出場。2017-18シーズンのDFBポカール、2021-22シーズンのヨーロッパリーグ制覇に貢献するなど、レジェンドの一人となった。今年1月に40歳となった中、今シーズンはここまで公式戦13試合に出場していた。

そして、2006年にデビューした日本代表としては、歴代7位となる通算114試合の出場で2ゴールを記録。ワールドカップ(W杯)では2010年大会から3大会連続で出場し、主将としてもチームを牽引した。

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 2022年10月に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの「最も信頼した弟子」として知られるプロレスラーの藤原喜明。猪木さんの死以降、口を閉ざし続けてきた藤原の独白をまとめた『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)には、猪木さんとの秘話と愛憎のすべてがまとめられている。新日プロ草創期、異種格闘技戦、UWFと新日への出戻り、引退、そして死に秘められた真実までをつづった同書から、佐山聡との対談シーンを一部抜粋して紹介する。

【貴重写真】がっちり握手で笑顔の藤原喜明と佐山聡

 アントニオ猪木は生前、藤原喜明を「一番弟子」と語り、佐山聡のことは晩年「後継者を誰にするか考えたことはなかったが、唯一、タイガーマスクだけはそういう存在になってくれると期待した」と語っている。ともに付き人時代は「猪木のためなら死ねる」という気持ちを持っていたという2人に、あらためて若手時代の新日本プロレスの思い出と、師である猪木への想いを語ってもらった。

■「友達のようにしゃべってくれた猪木さん」

【藤原】佐山、久しぶりだな〜!

【佐山】おとうさん、久しぶり。(ガッチリと握手を交わして抱擁)

【藤原】体調よさそうで安心したよ。

【佐山】昨日はあまりよくなくて目が回ってたんで、今日でよかった。

【藤原】プロレスラーは試合とか取材とかな、人前に出るとシャキッとするもんなんだよ。今日は久しぶりに佐山と話ができてうれしいから、ビール飲みながらしゃべるぞ。

【佐山】そうだ。お酒飲んじゃうんだ。危ないぞ〜、今日は(笑)。

【藤原】危なくねえよ。さっき、佐山が来るのを待ってる間にウィスキーをちょっと飲んだだけだから(笑)。

【佐山】もう飲んでるの? 危ないな〜。昔からそうだから。

──新日本の合宿所とか、巡業先の旅館でもガンガン飲んでましたか(笑)。

【佐山】どこでもですよ。

【藤原】でも、俺らの時代は、たとえ酒の席でも先輩後輩で理不尽な命令とかなかったよな?

【佐山】理不尽なのはなかったね。道場で山本(小鉄)さんの練習で理不尽なのはあっても。

【藤原】要するに、俺らの時代は練習は厳しかったけど、先輩が後輩をイジメるようなことはなかったんだよ。俺らよりずっと下の世代は、そういうのがあったらしいけどな。

──藤原さんたちがUWFで抜けて以降とか、90年代なんかはそういう話を聞きますけどね。やはり先輩が理不尽に威張ったりしないというのは、猪木さんの考えが反映されていたんですかね。

【藤原】そうかもしれないな。猪木さん自身、威張ることはなかったし、変な命令もしなかった。

【佐山】しっかり練習して、いい試合をしていれば何も言われなかったよね。猪木さんに怒られた記憶もあまりないから。

【藤原】コイツなんか、俺が「失礼します!」って猪木さんの部屋に入った時、寝そべりながら「だからさあ」とか、猪木さんと親しそうに話をしてるんだよ。あの時は「コイツ、猪木さんにこんな態度で……」って思ったけどな。

【佐山】ウソウソ。「だからさあ」なんて言うわけないじゃん(笑)。

【藤原】まあ、ちょっと大げさかもしれねえけど(笑)。付き人のくせに友達同士みたいな態度だなって思った記憶はあるよ。

── 佐山さんも以前、「猪木さんが自分の位置まで降りてきて、友達のようにしゃべってくれた」とおっしゃってましたよね。

【佐山】それぐらい、かわいがってもらいましたね。ありがたいです。

【藤原】やっぱり力道山先生に毎日殴られたりしてたのが反面教師になってるんだろうな。俺から見て、猪木さんからいちばんかわいがられてたのは、佐山と荒川さんだな。

【佐山】その代わりキッチリやってたからね。練習も靴磨きも掃除も洗濯も。いい青春時代でしたよ。

■藤原喜明(ふじわら・よしあき) プロフィール
1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。84年に“テロリスト”としてブレイク。同年7月に第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー(佐山聡)や前田日明らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。藤原組解散後はフリーランスとして新日本を中心に多団体に参戦。2007年に胃がんの手術をして、今も現役レスラーとして活躍中。

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>>18
引退後はカラオケにも行った仲だった

’16年4月、群馬・高崎巡業で、自ら立ち上げたプロレス団体「王道」の旗揚げ戦を控える中、プロレスラーとなった曙さんはこの春巡業から巡業部長に就任した貴乃花親方(当時)に花束を渡した
本場所のみならず、稽古場でも無数の格闘を繰り広げてきたことによって、貴乃花さんは引退後も、ある後遺症に悩まされた。真夏でも手袋やマフラーをするのは、その理由のひとつだ。前出の夕刊紙記者にこう明かしたことがあるという。

「大きな力士を相手に真正面からぶつかっていきましたから、首を痛めた。相撲をやめてから指先が冷たくなるんです」

初土俵以来、優勝決定戦を含めた両者の対戦成績は25勝25敗。両者一歩も引かないライバル心がそこに表れていたといっていいだろう。2人の現役時代は他の部屋の力士と雑談をすることさえ禁止されていたため、親しくなる雰囲気はなかったが、現役を引退すると、深いところで認め合っていた2人は徐々に接近する。

’96年に曙さんは日本に帰化した。相撲協会に骨を埋める決意の証だ。にもかかわらず、’03年11月に、日本相撲協会を突然去った。それには多くの理由があったとされる。

「最大の理由は相撲部屋を運営していく上で必要な年寄株が手配できなかったことです。当時も年寄株を取得するには数億円かかると言われていました。それに、大相撲の本場所を米国など海外で開催すべきなど『国際化』を訴えていましたが、当時の執行部に全く相手にしてもらえなかった。現在の東関親方(元小結・高見盛)や故・潮丸(’19年逝去・享年41)を一人前の関取に育てましたし、弟子の育成にはとても定評があったのですごく惜しまれました」(相撲担当記者)

貴乃花さんも協会在職中、「これからは若い世代の人たちにもたくさん相撲を見にきてもらわなきゃいけない。そのためにはプロ野球やJリーグのようにナイターで開催したいと思っているんです」と話していた。2人のベクトルは「大相撲改革」へはっきり向かっていた。

2人は「花の六十三組」同期会などで公私共に顔を合わせる機会が増えていった。

「カラオケにも興じたそうで、曙さんは貴乃花があんなにおしゃべりで明るいなんて、とびっくりしていました」(相撲協会関係者)

この時期、貴乃花さんは協会運営の持論を展開して理事選に出馬したり、協会執行部に対して異議を唱えたことが「貴の乱」と言われ、周囲が騒がしくなっていた時期だ。また、横綱・日馬富士が弟子の貴ノ岩に暴行したり、「張り手」や「かち上げ」に似た「エルボー」を見舞いながら優勝回数を重ねる当時の元横綱・白鵬を「相撲は相手を傷つけるためにとるわけではない」と公然と批判した。

「ハワイからやってきた力士たちは絶対しなかったことばかりだ。彼らは師匠の教えにそってしっかり相撲道に邁進していたから」

そう明かした貴乃花さんの視線の先には曙や武蔵丸、さらに先輩の小錦、高見山といった力士の存在が見えていたはずだ。本来の「相撲道」を守ろうとして発言すればするほど追い込まれていく貴乃花さんに「いつでも、何があっても応援している」と曙さんは常にエールを送っていた。’17年4月に曙さんが倒れ、その翌年9月に貴乃花さんは協会に退職届を出した。「相撲愛」でも競っていた2人が相撲協会に“寄り切られて”しまった。もし『曙太郎』が相撲界に残っていたら、最近の宮城野親方の騒動について、どんなコメントを残しただろうか。

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国技・大相撲で初の外国人横綱になった曙太郎さん(本名 チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)が今月上旬、心不全で亡くなり、14日に葬儀が行われた。54歳という若さだった。

【貴重】すごい!部屋の祝勝会でダンサーと踊る陽気な若き頃の曙関…!

ハワイ・オアフ島で生まれ、一家の家計を支えるために18歳で来日。’88年に元関脇・高見山の東関部屋に入門した。同期には若貴兄弟や浅香山親方(元大関・魁皇)ら「花の六三組(昭和63年3月場所初土俵)」と言われた錚々たるメンバーばかり。日本中が熱狂した空前の相撲ブームの立役者の一人で、身長2m以上、体重は一番重い時で233kgという巨体を生かして、日本人力士を立ち合いから一方的にネジ伏せる「電車道」の取り口が相撲ファンに強烈な印象を残した。当時の相撲担当記者はこう明かす。

「現役時代は、自分ではなく、若貴兄弟に殺到する報道陣を見ながら、『どうせ、相撲記者なんて、全員、『若貴』の応援団だろ?』と冗談半分でぼやいていましたが、曙はある意味、自分の置かれている立場をわかった上で、“悪役”を演じていた一面もあった。同期の力士で貴乃花さんだけは曙を『別格』として常に意識をしていて、ともに横綱をはった2人は単なるライバルを超えた厚い友情で結ばれていた。2人は曙さんの引退後にようやく本音で話し合える、いい意味の戦友になっていたと思います」

2人は、関取になる前に知られざる「伝説の猛稽古」をしていたという。前出の記者が振り返る。

「曙さんは貴乃花さんが所属する藤島部屋に出稽古にきた。2人は1時間以上、それこそ決闘のような稽古を続けていました。あり得ない激しさだった。2人とも血だらけになりながらね。当時あった相撲部屋でNo.1の猛稽古を課し、貴乃花さんの父親でもある親方(元大関・貴ノ花、故人)ですら、たまらず止めに入っていました。今、あの2人がやっていた稽古をする力士なんていませんし、できませんよ」

本場所後に全国を回る「巡業」でも2人は常に切磋琢磨の繰り返しだった。当時から毎年夏の巡業は東北と北海道を回っていたが、力士にとっては暑さが堪えた。巡業に取材にいったことのある夕刊紙記者はこう明かす。

「曙さんは『巡業は本場所でケガをしない体作りの場』という思いで稽古をしていましたが、それは貴乃花さんも同じだったんです。朝8時から始まる全体稽古の前に室内練習場の鍵を閉めて曙さんや貴乃花さんは稽古をしていました。ある時、まだ関取になっていなかった同期の元大関・魁皇の浅香山親方(当時の四股名・古賀)に稽古をつけていた。室内には入れませんでしたが、喋る声など一切聞こえない。体がぶつかり合う音しか聞こえなかった。すごい世界だと思いました」

外国出身の力士は相撲の独特な稽古に必ず戸惑う。腰痛の防止や自律神経のバランスや免疫力向上の効果があるとされる「股割」、稽古で勝った力士が相手を選ぶ「申し合い」、首を押さえつけられながらすり足で転がされる「ぶつかり稽古」など、日本人力士でも耐えきれなくて部屋から逃げ出すこともある。曙さんは違った。所属する東関部屋でも、日々厳しい稽古をこなしていた。現役時代に曙さんが残した名言の一つにこんな台詞があった。

「目から汗がよく出るのが、本当の稽古だから」――。

つまり涙が出るほどの厳しさに耐えた、ということだが、曙さんがそれをできたのは「誰にも負けたくない」という思いがあったからだった。貴乃花さんは現役時代の曙さんをこう評したことがある。

「とにかく大きな岩でした。硬くてデカい。それでも筋肉はしなやかで柔軟な体をしていた」

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大相撲の宮城野親方(39=元横綱白鵬)が、謝罪&説明で全国行脚することになった。

【写真】紗代子夫人を伴い、伊勢ケ浜部屋を訪問した宮城野親方

 3日、今月から部屋付き親方として転籍した東京・江東区の伊勢ケ浜部屋を、元幕内北青鵬の暴力問題で、自身の部屋が当面閉鎖となってから初めて訪れた。紗代子夫人、間垣親方(元前頭石浦)を伴い、約2時間滞在。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)からは「全国を回って(弟子の)親御さんに会いにいきなさい」と、助言されたと明かした。先行きに不安を感じている力士らの親に謝罪、説明し、不安を取り除くことが使命となった。

 宮城野親方は、暴力問題で2月に2階級降格などの処分を受けた。3月の春場所は師匠を外れ、同じ伊勢ケ浜一門の玉垣親方(元小結智乃花)が師匠代行。3月末の理事会で、親方衆2人と十両伯桜鵬ら力士、行司ら全員が伊勢ケ浜部屋に転籍すると決まっていた。

 この日の帰り際には「一生懸命頑張ると表現していいか分からないけど、1日1日頑張るしかない」と、真剣な表情で話した。伊勢ケ浜部屋は1日から稽古を再開しているが、双方の準備が整わず、宮城野部屋からの転籍組は合流できていない。それもこの日訪問して「7日に引っ越し」と決まった。新生伊勢ケ浜部屋の本格的な稽古開始は、引っ越し後の見込み。大横綱が、部屋付き親方から出直しを図る。

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【速報】㊗️尊富士初優勝㊗️

■大相撲春場所・千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪)

新入幕の前頭17枚目・尊富士(24・伊勢ヶ濱)が前頭6枚目・豪ノ山(25・武隈)を押し倒しで下し、ついに110年ぶりの「新入幕V」を達成した。

尊富士は初土俵(22年秋場所)から所要10場所目での初優勝を果たし、優勝制度ができた1909年(明治42年)夏以降「史上最速」となる大記録も打ち立てた。成績は13勝2敗。

3敗で大の里(23・二所ノ関)が星の差一つで追っていたが、本割で尊富士が勝利をつかみ文句なしの初賜杯を手にした。

13日目を終え星の差「2」で優勝に王手をかけていた尊富士だが、前日14日目は朝乃山に敗れ2敗に。さらに右足を痛めてしまうアクシデントで車いすで移動する事態となり、快挙目前で悲運に見舞われた。

千秋楽は休場も予想されたが出場を決断。この日は自力歩行で会場入りし、土俵入りでも元気な姿をみせ会場から大きな声援が送られていた。

新入幕場所での優勝は1914年(大正3年)5月場所の両国以来、110年ぶりの快挙。さらにその両国の所要11場所での初優勝、年6場所制となった1958年以降では貴花田(貴乃花)と朝青龍の所要24場所の記録を大きく塗り替え、10場所目での“史上最速V”を達成し、記録づくめの場所となった。

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 「師匠に怒られるんで」。熱海富士が貝になっている。

 所属する伊勢ケ浜部屋では、東前頭17枚目の尊富士が両国以来110年ぶりの新入幕優勝を目指している。

熱海富士も初場所こそ負け越したが、その前は2場所連続で優勝争いを繰り広げた人気実力派力士。尊富士とは稽古を共にする仲でもある。横綱照ノ富士の休場や一門の宮城野部屋の騒動もあり、部屋がピリピリするのは仕方ないにしても、序盤戦で2大関を破り、13日目には勝ち越し。勝ちコメントすら断られ、生の声を伝えられないのは取材する立場としてもつらい。

 意を決して、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に何とかならないか聞いた。答えはこうだった。

 「しゃべるなって言ってる。余計なこと言わないで相撲に集中しろ、そんな時間はないだろって。『集中したい』って本人も言うからね。余裕ないから。相撲もあんまりいい相撲で勝ってないから。相撲(場所)終わったらいいよ」。

 相撲に集中させたいという師匠の親心からだった。思いに応えるように熱海富士もしっかりと勝ち越した。本来「テレビに出たい」という陽キャだけに、場所後にはたまりにたまった話を聞かせてもらいたい。

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>>13
「いい人だし、子供からも悪い話は聞かない」

 そのしわ寄せは、将来を担う若手力士たちにいくとして、横野氏はこう嘆く。

「多くの弟子たちは、その師匠に人生を託して入門しています。いきなり他の部屋に移籍し、別の師匠にと言われても混乱します。移籍先となる部屋の力士たちにとっても、関取候補の多くいる宮城野部屋の力士が来ることは、環境が激変し決して歓迎できるものではありません。ましてや、宮城野親方と弟子がバラバラになる案もあり“力士ファースト”ではない。誰も幸せにならない部屋の合併はもっと慎重に判断すべき事柄ではないでしょうか」

 実際にわが子を宮城野部屋に預けた保護者の一人に尋ねたところ、

「部屋がなくなると聞いて困惑しています。宮城野親方に指導してもらいたくて、宮城野部屋が好きだからと、わざわざ弟子入りした子もいるんです。そういう若い子たちの気持ちはどうなってしまうのか。協会は部屋の力士たちの声もくんでほしい」

 別の保護者に尋ねても、

「宮城野親方は本当にいい人だし、子供からも悪い話は聞かない。もし部屋がなくなるとなったら、親方に憧れて角界入りした弟子たちも辞めると思いますし、親としても相撲界から抜けさせるつもりだよ」
 
 後編では、協会が宮城野親方を徹底的に追い込む理由に迫る。

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>>12
「過去の事例との整合性が合わず重すぎる処分」

 本誌(「週刊新潮」24年2月1日号)は、1月場所途中で北青鵬が休場した背景に「素行問題」があるといち早く報じたが、ここにきて協会は一気に宮城野親方を“角界追放”する方向へと舵を切ったのである。

「今場所もこれまで通り宮城野親方は記者クラブ担当としての仕事をこなし、記者からの質問にも丁寧に答えてくれていますが、いつもより声にため息がまじることが多く、普段の元気はありませんね……」

 そう明かすのは、春場所を取材する相撲レポーターの横野レイコ氏だ。

「平成になって以降、部屋が閉鎖されたのは、暴力団関係者と親方のつながりが問題視された木瀬部屋と、親方が弟子に暴力を振るった中川部屋の二つ。どちらも親方自身が起こした不祥事でしたが、今回は弟子が起こした暴力による監督責任。もちろん北青鵬の起こした暴力は許されるものではありませんし、宮城野親方が北青鵬の暴力を黙認し、協会に報告せず、協会の調査にも隠蔽(いんぺい)工作をしたことを重く見ての処分として2階級降格と減俸は妥当だと思いますが、そこに部屋の閉鎖まで加わるのは、過去の事例との整合性も合わず重すぎる処分だと思います」
他の不祥事と比較すると…

 これまでの不祥事と比べても、協会の処分が厳しいという声は根強い。

 昨年5月、本誌が報じたことで表面化した陸奥(みちのく)部屋の暴行隠蔽問題では、元大関・霧島の陸奥親方(64)は減俸に処されたが、これは協会の7段階ある処分の中で2番目に軽いもの。八角理事長に見いだされて就いた協会ナンバー2の事業部長は辞したが、理事の座にはとどまり続けており、変わらず部屋で指導にあたっている。その扱いの差は歴然だ。

 再び横野氏に聞くと、

「暴力による死亡事件を起こした時津風部屋でさえ、協会は親方と加害力士は解雇処分にしたものの、部屋自体の閉鎖はなかった。協会関係者らに取材しても、部屋閉鎖までの処分は行き過ぎとの声も多かった」

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元白鵬の宮城野親方(39)問題で揺れる日本相撲協会。協会の処分があまりにも厳しいとの声も上がる中、宮城野部屋に所属する力士の保護者からは、宮城野親方を擁護する声が。後編では協会が宮城野親方を徹底的に追い込んでいる理由に迫るが、前編では保護者らの声を紹介する。【前後編の前編】


 39歳の誕生日を春場所が開かれている大阪で迎えた宮城野親方(元横綱・白鵬)は、どんな思いで土俵を見つめていたのか。

 彼の誕生日、3月11日は春場所の2日目。見事に“連勝発進”を成し遂げた宮城野部屋所属の西十両13枚目・伯桜鵬(20)は、

「勝つこと、結果を出すことが恩返しだと思うので、(宮城野親方の)誕生日というのもありますが、勝ったことは良かった」

 と語り、騒動の渦中にある師匠を慕う気持ちを隠さなかった。

 好調な愛弟子とは対照的に、宮城野親方の立場は大きく揺らいでいる。八角理事長(60)率いる日本相撲協会から厳しい処分を下され、“土俵際”に追い込まれている格好なのだ。

 宮城野部屋で起きた幕内力士・北青鵬(22)による弟弟子たちへの暴行問題で、先月下旬に協会は「弟子の監督責任」と「協会への報告義務」を怠ったとして、宮城野親方に協会の委員からヒラの年寄へ2階級降格、および減俸の処分を下した。

 それだけではない。今後は手塩にかけた弟子もろとも部屋自体が、所属する伊勢ケ浜一門の預かりとなり、「宮城野部屋閉鎖」が現実味を帯びつつある。

 相撲担当記者が言う。

「春場所初日、伊勢ケ浜一門が協会に対して、4月以降は宮城野親方と弟子らを別々の部屋預かりとする可能性も含め、今後について協議したことを報告したのです。それに沿った形で協会も検討を進める腹積もりですから、平成の大横綱が自らの部屋を持たず後進の育成ができないとなれば、角界での存在感が低下することは避けられません。本人が夢見ていた協会理事から理事長へのし上がる道も、実質的に絶たれた格好です」

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日本サッカー協会(JFA)は14日、2026年W杯北中米大会アジア2次予選・北朝鮮戦2試合に臨む日本代表を発表し、DF長友佑都(37)=FC東京=が、2022年カタールW杯以来となる選出を果たした。

 日本代表は、左サイドバックを固定できておらず「ポスト長友」は懸案事項だった。1番手ともいえる立場だったDF中山雄太(27)=ハダースフィールド=が2日に左膝を負傷し、今季の出場は絶望的だと地元メディアが報じる状況。過去白星がない平壌での一戦に向け、森保一監督は大ベテランの復帰という結論を下した。

 長友は通算142キャップ。W杯カタール大会では4試合全てに出場し、初戦のドイツ戦で2―1の金星を挙げた際の「ブラボー」発言でも話題を呼んだ。

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 元幕内で序二段の炎鵬(宮城野)は、春場所からしこ名の下を「晃」から本名の「友哉(ゆうや)」に改名した。2017年春場所の初土俵時は「炎鵬友哉」だったが、同年名古屋場所から「晃」に改名した。中学時代に通っていた相撲道場の亡き先輩の名前だった。

 炎鵬は西十両3枚目だった昨年夏場所で首の負傷のため途中休場、翌場所から4場所連続全休が続いている。休場理由が当初の頸部(けいぶ)椎間板ヘルニアに加え、脊髄損傷だったことも明かしている。2週間の入院中は寝たきりの時期もあったが、リハビリの成果で驚異の回復ぶりを見せている。

 東序二段54枚目で迎える今場所での復帰を目指しており、炎鵬は改名理由を「心機一転ですね。それ(復帰)に向けてもう一度、自分の名前で頑張りたいという気持ち」と説明した。

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7度のF1チャンピオン、ルイス・ハミルトンが、メルセデスとの契約を1年早く終わらせて、2025年にフェラーリに移籍することが発表された。

【写真】2025年からフェラーリでペアを組むルイス・ハミルトン(メルセデス)とシャルル・ルクレール(フェラーリ)

 ハミルトンは2013年にメルセデスに加入、昨年8月、2025年末までチームに残ることが確定した。しかし2月1日、チームはハミルトンが契約解除のオプションを行使し、2024年末で離脱することを発表した。その直後にフェラーリは、ハミルトンが複数年契約により、2025年に加入することを正式に認めた。現在39歳のハミルトンにとって、フェラーリはF1キャリア最後のチームになるかもしれない。

 ハミルトンは2007年にマクラーレンでF1デビュー。この年からすべてのレースにおいてメルセデスのエンジンを搭載したマシンで走ってきた。2023年末の時点で、マクラーレンで1回、メルセデスで6回のタイトルを獲得。キャリアを通しての優勝回数は103回、表彰台197回、ポールポジション104回という比類のない成績を、メルセデスと共に挙げてきた。

 2021年にハミルトンは、最終戦アブダビGPで、8度目のタイトル獲得を目前にしていたが、レースディレクター、マイケル・マシが終盤のセーフティカー運用をレギュレーションに反する形で行ったことがハミルトンに著しく不利に働き、タイトルを逃す結果になった。

 翌2022年にF1は新たなテクニカルレギュレーションを導入。それまで圧倒的強さを示してきたメルセデスは、優れた新生代F1マシンを作り出すことができず、ハミルトンはキャリアのなかで初めて1勝もできないシーズンを送った。2023年にもメルセデスは低迷、ハミルトンは2年連続で優勝することができなかった。

 チーム代表トト・ウォルフは、ハミルトンに8度目のタイトルを獲らせたいという強い気持ちを示してきたが、それをかなえるチャンスは今シーズンしかなくなった。

 メルセデスは、ジョージ・ラッセルと2025年末までの契約を結んでおり、来年に向けて彼のチームメイトを探すことになる。一方フェラーリは、1月25日、シャルル・ルクレールとの契約を2025年以降まで延長したことを発表。2025年から複数年にわたり、フェラーリはハミルトンとルクレールのペアを走らせる。

 一方、フェラーリがルクレールとの新契約を発表した際に、今年末で契約が切れるカルロス・サインツについては何も触れられなかったことから、サインツとの交渉は難航しているものと考えられていた。ハミルトンが2025年にフェラーリ入りすることで、サインツが2024年末でフェラーリを離脱することが確定。サインツの移籍先も注目される。

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プロフィギュアスケーターでタレントの村上佳菜子(29)が21日、日本テレビ系情報番組「シューイチ」(日曜・前7時30分)に出演し、婚約を発表した。

番組終盤にVTRで登場した村上は「ヒデさん!結婚することになりました!」と婚約したことをMCの中山秀征に呼びかけるように報告。中山は「おめでとう」と祝福した。村上は「これから頑張りま〜す」と笑顔で手を振って幸せいっぱいの様子だった。

 早ければ今月中にも結婚することが1日までに明らかになっており所属事務所は「いいお付き合いをさせていただいております」としていた。

 関係者によると、お相手は年下の実業家で、交際は1年以上になるという。昨年12月には、2人で愛犬を散歩させる姿を一部週刊誌にキャッチされていた。

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J12024各クラブ⚽️ユニフォーム

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