ターフをわかせた名馬





emoji[clock]2013/11/08 10:52
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emoji[clock]06/27 17:39
(ダービーも逃げて大楽勝〜カブラヤオー)

「距離を間違えている。これではツブれる」
年季の入ったファンは誰もが思った

1000メートル通過のラップが58秒9

まさに短距離戦のラップタイムで飛ばして競りかけた馬を蹴落とし
あげくは後続馬に2馬身半差の圧勝

これがカブラヤオーの皐月賞での勝ちっぷりだった

続くダービー

距離は皐月賞より400メートルも伸びる

スタートでポンと先頭に立ったカブラヤオーに1頭がせりかけてきた

鞍上の菅原泰夫騎手は遠慮なく競り合いに応じた

一時は3番手以下を10馬身も離す
無謀とも思える猛烈な競り合いだった

向正面
1000メートルのラップがなんと58秒6

「速すぎる。今度こそカブラヤオーは消える」
ほとんどのファンはまたしても思った


競りかけた馬を脱落させ
直線で接近してきた馬を突き放し
終わってみれば1馬身4分の1差の楽勝

いまでも「もっとも強い勝ちっぷりだった」といわれるカブラヤオーの逃げ切りのダービー制覇だった

「この馬は逃げるしかない」

カブラヤオーの韋駄天ぶりを信じた菅原騎手の計算通りの勝利だったが
このレースはそれまで地味な騎手だった菅原泰夫を一流ジョッキーの仲間入りさせるという副産物も生んだ

快速馬の宿命としてカブラヤオーは脚部不安に苦しみ
以後4戦3勝しただけで引退してしまった


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emoji[clock]06/08 01:17
(ハイセイコーを斬る憎い奴〜タケホープ)

昭和48年
野武士の如く大井から中央に挑んできたハイセイコー

ちょうど田中角栄が日本のトップの座についた時のように庶民パワーが爆発

ハイセイコーは一躍
国民的アイドルになった

庶民の代表ハイセイコーの夢は
一頭の馬によって木っ端微塵に粉砕されてしまう

ハイセイコーよりひと回り小型のタケホープがその敵役

単勝支持率66、6%というダービー史上最高の人気で出走するハイセイコーに対して
タケホープはその50分の1の9番人気

ところが
「ハイセイコーがきた!」という実況で場内が騒然となった瞬間
タケホープは外をついていつの間にやら上がっていき
ゴールインしてしまった

そして秋の菊花賞

ここでもハイセイコーは一番人気

一方タケホープは
ダービーを制しているにも関わらず六番人気

タケホープは三コーナーから先頭に立ち
逃げ込むハイセイコーをジワジワと追い詰め
ハナ差で勝ってしまう

翌年春の天皇賞でも
タケホープはハイセイコーを破り
天皇賞馬となる

ハイセイコーVSタケホープの対戦成績は5勝4敗とハイセイコーが上回ったが
ここ一番の大レースではことごとくタケホープが勝った

カタキ役だったが
競馬史上有数のステイヤーであることは間違いない


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[6]
emoji[clock]05/28 14:12
(白い逃亡者のたまらない魅力〜ホワイトフォンテン)

420キロ台の芦毛の逃げ馬ホワイトフォンテンを「白い逃亡者」と名付けたのは故・寺山修司だった

ちょうどその頃
テレビでは米国の連続ドラマ「逃亡者」が人気番組で
このニックネームはスンナリと受け入れられた

「逃亡者」だから
つかまる危険もある

その危うさがホワイトフォンテンの人気の秘密だった
当然のことながら成績にはムラがあった

逃げるときはどんな強い馬を相手にしても逃げ切り
日経賞では単勝1万800円というあけたりもした

かと思えば
格下の相手にアッサリと差され
馬群に沈んで影も見えなくなる

おおむね人気が高いレースで馬群に沈み
人気薄、ノーマークのレースでひとり旅を続け
穴をあけることが多かった

人気の重圧を受ける騎手の心理に敏感だったからという説もあるが
逃げ切れるか捕まるか
逃げ切ったら高配当
そうでなければオシャカというレースぶりは
逃げ馬ファン
穴党ならずとも競馬の醍醐味をまざまざと見せてくれる一頭だった

戦績は50戦して11勝

総収得賞金は1億4000万円もあり
レースぶりからは想像できない稼ぎを残しているのも意外

主戦ジョッキーは高橋司騎手

下積みだった高橋騎手は
自分が脚光を浴びるのはこの馬しかないという気持ちで乗ったそうだが
ホワイトフォンテン引退の後
自分も騎手生活にピリオドを打っている

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[5]
emoji[clock]05/19 12:51
26頭をゴボウ抜き〜ヒカルイマイ

3コーナーではブービー
そこから一挙に26頭を大外からゴボウ抜き

空前にしておそらく絶後
それほどハデな勝ちっぷりで昭和46年のダービーを制したのがヒカルイマイだった

皐月賞、NHK杯を連勝しているから単勝の配当は590円どまり

ただし
2着馬が人気薄で
しかもD―Dのゾロ目ときたから連勝は5740円の高配当をつけた

優駿に輝いたヒカルイマイのその後は
決して平坦ではなかった

以後2戦して3着、9着

屈腱炎を患い
再起に失敗して49年
新冠で種牡馬に


ダービー馬というのに種付け希望がほとんとない

ヒカルイマイがサラブレッドではなく
5代母も血統書がないサラブレッド系だったから

◯父の馬があたり前のように活躍する現在と違って
内国産馬は種牡馬としてほとんど認められていない時代だった

あのシンザンですら
この頃はそうだったのだからサラ系のヒカルイマイが種牡馬として無視されるのもいたしかたなかった

53年
ヒカルイマイは馬産地としては二流の鹿児島県に「都落ち」するハメになる

それを知ったファンが「ヒカルイマイの会」を結成した

種牡馬としてご用済みになったら
終生のカイバ料を会で出そうというものだった

ファンの願いが叶って
中央で勝ちをおさめる産駒を出すこともできた

たった150万円で零細農家から売られたサラ系ダービー馬
ヒカルイマイの老後は幸福だったのだろうか


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[4]キタノダイオー
emoji[clock]01/03 01:14
故障に泣いた幻のダービー馬

昭和43年
第35回ダービーは関西馬タニノハローモアが制した

もし無事でいれば
おそらくこのダービーを一番人気で1着になったに違いない馬
それがサラ系キタノダイオー

どれくらい強かったかというと7戦無敗

そのほとんどがレコード勝ちか大差での楽勝

キタノダイオーのデビューは42年7月
函館の新馬戦

ここで2着馬に8馬身差をつけ
レコードで圧勝した

つづく函館3歳Sでは2着に9馬身の差をつけてやはりレコード勝ち

札幌での北海道3歳Sでは断トツの1番人気

当時
札幌には翌年のクラシックをにぎわすタケシバオーやマーチスも在厩していたが
キタノダイオーの人気の前ではほとんど無視される存在だった

この3歳Sを持ったままで3馬身半差の楽勝

もはや来年のダービーはこの馬でキマリも同然だった

勇躍上京するが
好事魔多し

キタノダイオーは調教中に骨折してしまう

クラシックは断念せざるをえなかった

ようやくカムバックしたのは44年の5歳時

3戦をやはり楽勝したものの
またもや故障
リタイアしてしまった
キタノダイオーが550キロを超える雄大な馬体を関東のファンにみせたのは6歳時

準オープンクラスのダート戦を快勝し
幻のダービー馬であることを納得させてくれた

故障のためこれが最後のレースになったが
サラ系には珍しく種牡馬としても成功した


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